木村✕加川 対談第三弾ー「レコメンド、リテラシー教育、憲法改正」

kimurayasuhiro

大変遅くなりました。

木村✕加川対談、この第三弾で終了です。

第一弾、第二弾は⇒こちらこちら

 

 

本当に僕の無精で、せっかくのキムさんのお話を公開するのが遅くなってしまった…

キムさん、ハッパをかけて頂いてありがとうございました。そして改めて、今回対談して頂けたこと、御礼申し上げます。

さて、第三弾の対談を編集していて改めて見返してみると、ゼゼヒヒの話のくだりで、キムさんがネットメディアでは「潜在的反対層」がいることを忘れてはいけないという指摘をしていたのだけど、これは非常に重要だと思う。

現在、安倍首相を始め自民党政権はネット層からの支持がかなり厚い。ニコニコ動画での党首討論では、安倍さんが喋れば「8888888(拍手)」というコメントが流れていくし、安倍さんのFacebookでは特に右派の有権者から熱狂的な支持を得ているように見える。

しかし、それはあくまでネット層からの支持であり、現実の世論、沈黙する有権者たちとは少なからず乖離があることを忘れてはいけない。調子に乗っていると、落とし穴があるかも。神奈川県横須賀市長選も自民党は敗退。都議選は自民党が勝つのは当然として、地方の有権者はアベノミクスをどこまで評価しているのか。参院選がどうなるか、意外とわかりませんね。

では、木村✕加川対談第三弾、どうぞ!

 

■情報の仕分け方

 

加川:情報収集はどうされていますか?

 

木村:俺は特にあまりしていなくて、グーグルニュースを見るくらい。

 

加川:RSSとかも使ってませんか?

 

木村:RSSもやってないな。キリが無くなっちゃうしね、あれ見てこれ見てだと。

適当にTwitterを見て、トレンドでなにが流れているのかとかはチェックしてるけど。

 

あとは津田マガとか加川のメルマガとか、周りから(なにが起きているか)教えてもらって、そこから芋づる式に自分で調べていくとか。自分の知る必要があることだけ知ればいいと思っていて。

よく、自分の足で見たから本物とかいう人もいるけど、自分の足で現場で見たからそれが本物とは限らないし、そこでも自分の主観は入るし。逆に新聞でまとめてもらったのを見たほうがためになることもあるしね。

いまはこれだけ(情報が)細分化してるから、別に俺がやらなくても俺より興味があって優れている人とか、プロが調べてくれてるのならそれを見ればいいし、俺は俺でやれることをやる。

良い意味での諦めみたいなのはある。

 

加川:みんながどうあるべきかという押し付けはしたくないけど、僕は情報を知らなきゃ怖いなって思ってしまうことが多くて。自分の必要なものだけ見るのも大切だけど、自分が必要じゃないと思っている情報のなかに、実はすごく大切なものがあったらどうしようという気持ちが根っこにあって。

 ついこの前キムさんが、ライブハウスではバンドが入れ替わるときに客を総入れ替えしてはどうかというお話をしていたじゃないですか⇒リンク

あれとかまさしくなんですけど、僕の考えに沿って言うと、対バンの知らないバンドを見て「あっこれいいな」とか思うこともあるじゃないですか。

 

木村:俺自身もそういう経験あるけどね。あれはただ単に思ってることを、反対されるのを承知で敢えて言ったんだけど(笑)

 

加川:確かにキムさんが「敢えて」言っていたのは分かるんですけど、結構キムさんの思想の根っこに(知りたいことだけを知ればいいという気持ちが)あるのかなと思って。

どっちがいい悪いということじゃないですけど。

要するに、自分で情報にフィルターをかけちゃうことが、効率もいいし僕は情報強者のやり方だと思うんですけど、ただバーッと広がる情報の海を真正面から受けて、丁寧に情報を選り分けるという作業が、出会う可能性のないものをなるべくつくらない方法としてあると思っていて。僕は後者でありたいなと。

 

木村:でも俺みたいな考え方は、そういう人の存在がありきだから。

 

加川:あーなるほど。

 

木村:加川はどちらかというとハブ的な感じでしょ?自分が特定の色に染まるとかではなく、情報を全部受け流して、工場の生産ラインみたいに平らにならべて、それを出荷していくみたいな。それを俺が情報として取っていく。俺は本当にそれをそのままもらうことしかできないから、嫌だなと思ったら気持ち悪くなって終わっちゃう。

ブロゴスとかハフィントン・ポストとかもある程度思想の偏りはあると思うけど、そういう(ハブ的な)メディアだよね。それを隅から隅まで読むやつと読みたいところだけ読むやつがいるよ。

俺がやっているのは情報にフィルターをかけるというのとはなんか違う気がしていて。いま興味がないことが、そのまま今後も興味ないという感じではなくて、これから時間は数十年もあるんだから後で読めばいいじゃんというのはあって。ネットだから情報は残るし、いま読む必要はないかなという感じはある。

 

■機械によるレコメンド  人によるレコメンド

 

加川:なるほど。確かに、時間的制約とかもフィルタリングの理由になるし、それは思想の偏りとは次元が異なる話かもしれません。

ところで、Amazonのおすすめとか、ユーザーの好みの情報をキュレーションしてくれるGunosyとか、ああいう機械的なレコメンドの流れはちょっと危険な感じがしているんですよ。

 

木村:2ちゃんねるのまとめサイトとかね。あれはいい意味でも悪い意味でも便利というか。

 

加川:恣意的な編集で、この世にはネトウヨしかいないのではないかと思いますよね。

僕はAmazonとかGunosyのサービスが、自分の選好の外にあるものをシャットアウトしてしまって、自分の選好に閉じてしまうことを助長してしまうことを危惧しているんです。

しかし、「これはあなたが好きじゃないかもしれないけど、どう?」みたいなのをサービスとしてつくるのは、アルゴリズム的にすごく難しいですよね。

 

木村:それって人じゃないと無理だよね。

 

加川:確かにそうですよね。僕はTSUTAYAでアルバイトをしてるんですけど、最近ではHuluとかビデオ・オン・デマンドサービスが普及してきて、レコメンドのサービスとかも充実しているから、どんどんそっちのほうにお客さんが流れていってると感じるんです。そういうとき小売店がどうすればいいか考えたときに、そのお店の人がお勧めしているものが良いから行きたくなるってところで差別化が計れないかなと思って。結局人にしかできないことがあるという思いで、僕のレコメンドコーナーをお店につくったりしたんですよね。

偶然な出会いというのは、むしろローカルなところに残されている気がして。それを今後どうネットに持ち込むかですね。

 

木村:それはTwitterとかが担っているんじゃない?TLで適当に呟いていたCDを聴くとか、Youtubeのリンクを見たらすごいよかったとか、ネットで人に頼るところはいっぱいある。

 

加川:SNSってそういうところもありますね。

 

木村:漫画なんかも最近そういうやり方しかしてなくて、Twitterで(誰かが呟いていた)面白そうなもの読んでみるみたいな。

 

加川:Twitterの話でいうと、極端な話ですが、例えば自分が右翼に近い思想をしていると、無意識に右翼の人ばかりをフォローしちゃっていたりすることもあるじゃないですか。そういう問題意識で、例えばいきなり訳わかんない人をフォローしてみようと思ったりしたことはないですか?

 

木村:そう思ったことはないかな。というか、無意識にやっているとまずいけど、そういう(偏りのある)場所だと分かってTwitterをやってるからね。

例えばロースクールにいると、法律家に対して敵対心を持っている人っていないし、そういうとこにいると法律家を嫌いな人がこの世にいることなんて忘れそうになるから、それを忘れるとまずいだろうという認識は必要だよね。

 

■日本のリテラシー教育をどうするべきか

 

加川:やっぱりキムさんみたいは人はメディアリテラシーが高いと思うんですよね。僕も、分かっててやるのと分かってないでそうなっちゃうのは大きな違いがあると思っていて。僕の周りの人間はある程度学歴もあってメディアリテラシーも高いほうだと思うんですよ。

でも、いまの日本ってどれくらいリテラシーの高低差があるのかなってことは結構疑問に思っていて。

 

木村:これはちょっとリテラシーとは離れるかもしれないけど、この前の津田マガで一貫して言ってたんだけど、いまの大学生はできる人とできない人の差がすごい激しいらしい。 いま学生ですごい人たちは情報とかを扱うことに長けていて、ちょっと前の時代の優秀な学生よりも全然優秀になっている。一方できない人たちは、相対的かもしれないけどむしろ絶対的に、使えない人材になってしまっている。

昔は本とか出版物や紙メディア、またはテレビが主流でコンテンツも充実していたけど、ネットの登場のおかげでこれらの「簡単にアクセスできるメディア」の質が低くなってきちゃっている。だから、普段それらのメディアにしかアクセスできない人たちは、必然的に質が下がってきてしまっている。いまマスメディアが自分たちのコンテンツにお金がかけられないから、(コンテンツが充実していた)20年前から比べると、質が下がってるよね。

 

加川:つまり、受動的な人と能動的な人の格差が開いてきているということですね。

 

木村:前だったら受動的な人であっても、そこにお金がちゃんと注ぎ込まれていたからある程度の水準のコンテンツに触れられていたんだけど、いまは受動的な人が触れられるメディアの質が下がっているというわけ。

 

加川:僕はいまいかにリテラシーが低い人達がいるかというのを、わかっていないんですよね。

 

木村:自分の周りのひとたちが標準だと思い込んでるよね。

 

加川:そうなんですよね。例えば地元の友人とかに「新聞読もうよ!」とか言ってもあまり通用しなくて、実はすごい乖離があるなと思ったんですよ。

 

木村:実はそういう問題って、どっちが優位かっていう問題もあるよね。

「新聞読めよ」とか通じない人たちも日本に半分くらいいるわけだけど、そういう人たちががんばって働いて国に税金を納めているわけで、実はどっちがいいとかわからないよね。

 

加川:民主主義的な国家を至上命題と捉えると、もっと考えなきゃいけないとも思うんですよね。やはり何も考えないで、自分の思い込みだけで過ごしてしまう人たちに危険を感じる。

 

木村:昔はトップダウン型で大学教授とか批評家が知識を伝播してきたけど、いまは批評家きどりの学生が自分の知識を呟いたりしていて、みんながみんなそうなってきちゃうとどんどん(知識の)格差が広がっていくのか、もしくは混沌とした社会になっていくのかいまは分かりにくいよね。時代の過渡期だから。

いま現状が、時代のどのポジションに置かれているのかわからない。いい流れなのか悪い流れなのか。

 

加川:ところで、キムさんの世代で、小学四年でネットに触れたのはかなり早いと思うんですけど、きっかけってあったんですか?

 

木村:その頃家にパソコンが来たんだけど、俺はガンダム好きだったしガンダム系の2ちゃんねるを中心に見はじめたんだよね。そこから他の2ちゃんにジャンプしたりして。

ガキの頃からエロ画像を探したりするけど、どうやって親にばれないようにエロ画像を見るかを考えて隠しフォルダとか勉強しているうちに、どんどんパソコン自体に興味を持ち始めたってのはあるね。

 

加川:小学四年で家にパソコンがあるってのは、やっぱりお金もちの部類に入りますよね。 金銭的な格差がある程度、情報格差に影響してるのかなと思います。

 

木村:でも小学校時代に「情報」っていう授業なかった?

 

加川:あーありましたね。でもあれがどれほど僕らに影響しているのかっていうのはちょっと…

 

木村:インターネットの知識という点から考えると怪しいけど、いまの大学生って誰でもWordとかカタカタタイピングしてるわけじゃない?あれってなんだかんだ情報の授業みたいなのが役立ってるなと思う。

いまの学生ってタイピングできなきゃ進級できないし、最低限のことは学校がやってると思うんだよね。

 

加川:キムさんて思想的にはフラットだと思ってるんですよ。たまに極端な論調でつぶやいたりもするけど、「あえて」やるじゃないですか。

でも、キムさんと同じような環境におかれて、ネットのネトウヨ思考に侵されている人もいると思うんですよね。

 

木村:いるだろうね。でも俺が常駐していたころの2ちゃんはまだできてから三年しか経っていなかったから、かわいいアスキーアートをつくるとか、ただのネタスレで盛り上がるとかだけだったんだよね。あと3,4年自分が生まれるのが遅かったら、俺もネトウヨになっていたかもしれない。

あとは自分の親があまり偏った思考じゃなかったかな。思考をおしつけられたり、こういう風にしろと強制されたこともない。なにかをおしつけられたら、それに反発するにせよ順応するにせよ、どちらかに偏っていたかもしれないよね。

 

加川:いまの子どもたちって小学一年からネットに触れていて、ネトウヨみたいなものを当たり前のように触れていたら、ほんとにヤバいんじゃないの?と思いますね。

 

木村:いまは総理大臣もFacebookでネトウヨみたいなことを発信しているもんね。あれを見て育つとどうなるんだろうとは思うよ。

 

加川:そんな中で、どうやって自分で思想的なバランスを保とうという意識を持てるかですよね。それはもうちょっと、高校生くらいの段階じゃないと厳しいと思いますし、今後リテラシー教育って重要だなと思います。小学生くらいだと、自分の見たいものしか見ないじゃないですか。「こういう考え方もあるよな」と大人の考えができない。

いまの小学生世代と、僕たちが子どもだったころとどれくらいギャップがあるのか気になりますよね。だから小学生と話してみたい。どういう風に情報と触れているのか。

 

木村:みんな2ちゃんとかニコ動とかを見てるのかな。

 

加川:そうですよね。Twitterも、どんな人をフォローしてるのかなって。

 

木村:それは俺達が話しているだけでは答えが出ないよね。どうやって小学生にインタビューするかは悩ましいけど。

 

加川:キムさんが小学生の頃は、2ちゃんねるユーザーの小学生とかやっぱり特殊だったと思うんですけど いまはみんな普通にギークみたいになれちゃって、情報過多ですよね。

リテラシー教育って、どんな方法・やり方があると思いますか?

 

木村:それは「リテラシー教育はこうあるべき」とかいう話ではなくて、普通の教育をしっかりしていくことしかないんじゃないかな。

 

加川:なるほど。

 

木村:普通の国語とか道徳とか社会とか、そういうことをちゃんとやるしかないと思う。

リテラシー教育自体に先生の思想が入るわけだから、こんなものを見ちゃいけないと言った時点で思想的な偏りが入るかもしれないし。ある程度「健全」な道徳心みたいなものを身につけさせるしかない。社会とか教えるだけで、例えばナチスはこうなったとか、中国はこういう風に発展したとか、歴史的な事実を教えるだけで、バランスがとれるようになるかもしれない。こういう国が滅びたっていうことを知れば、こういうことをしていてはダメなんだなって思うからね。

 

加川:リテラシー教育みたいなものが、ネットだけの話ではなく、通常の教育の中にしっかり含まれているってことですよね。

 

木村:もともと(愛国教育とか)右寄りな教育を受けている子は、絶対中道にはいけないよね。自分で左派の方に気を使ったよと思ってもまだ右寄りだったりする。

いま右とか左とか分けること自体が難しくなってきてるけどね。ネトウヨっていわゆる右翼とは違うわけで、本当の右翼だって日本が侵略戦争したことを認めているひともいて、それを事実として否定するひとなんてあまりいない。ネトウヨはそれを未だに認めていなかったりするわけで、侵略したという事実はあるのに、未だにネトウヨの間ではなかったことになっている。こんなネット上の常識が今後どれくらい生き残るかによって、リテラシー教育というのも変わっていくかもしれない。

 

■2ちゃんねるは「世論」なのか?]

 

加川:僕は2ちゃんねるとかのネット空間ってあまり馴染みが無いんですけど、どうしてあんなに傾いていくものなんですか?

 

木村:やっぱり匿名だから好き勝手言いまくれるってとこだろうね。

 

加川:じゃあ一方で、左翼的なこともいくらでも言えるじゃないですか。そこでなんで右ばかりなのかなと。

 

木村:やっぱり右の方が左より過激だからじゃないかな。声が大きいほうにみんな傾いていくというか。そしてネットでは話している人の間に格差がない。

だからもし、現実のパーティーとかで鳥越俊太郎みたいな(権威ある)左寄りの人が声をあげれば、ネットの人たちはそちらに傾くだろうし、強い口調の人の方に同調しちゃうんだろうね。

 

加川:ネトウヨのひとたちってどれくらい本気なんですかね。

 

木村:みんな本気じゃないんじゃない?自分では本気だと思い込んでいるかもしれないけど。

 

加川:僕も本気じゃないと思うんですよ。ネタなんですかね。

 

木村:ネタだと思いたいけどね。行動が伴ってないし。

 

加川:僕はああいう空間がすごく自己肯定を求めていて、それが増幅した結果がネトウヨなのではないかなと思います。

 

木村:あそこはみんな言いたいだけなんだろうね。好きなバンドを見たあと、Twitterとかで「すげーよかった」とか言いたいのと一緒だろうね。

 

加川:ああいうヘイトスピーチのような言論をどう世論として民主主義的に組み込んでいくかというと、その言論がそもそも意味のないノイズかそうじゃないかというのが分かりにくいじゃないですか。

 

木村:だから便所の落書きって言われちゃうんだよね。

 

加川:ただ、便所の落書きだからといってそれを無視してもいいものなのかな、とは思うんですよね。

 

木村:でも、無視していいんだと思う。ある程度書き込んでいる側も、無視されるからこそデカイ声で言えるってのもあると思う。

 

加川:そういうカスみたいな言論が溢れていることは認めたうえで、言論の質みたいなもので格差をつけることに対して神経質にならなきゃいけないなと思いますね。

例えばハフィントン・ポストには「ジュリア」というソフトがあって、自動的にソフトが記事に対するコメントの格付けをして、無駄なコメントを削除するんですよね。それでいいのかなと。

 

木村:俺は、基本2ちゃんねるは見ない方がいいメディアだと思う。あそこは基本的に何かに対して否定する人しかいないから。あそこをガキの頃から見ていたら、道徳心みたいなものは養われないね。いまは10年前くらいの2ちゃんと比べて、内容が高度になってきただけに、負の傾向がますます強まっている気がするね。

 

■ネットに現れない「潜在的反対層」

 

加川:津田大介さんがやっている「ゼゼヒヒ」って結構理想的なメディアだと思うんですよね。ある議論について賛成反対が見れるようになっていて まぁそもそもその議題設定自体に恣意性があるとは言えるんですけどそれは置いておいて、ぱっと見で賛成・反対が見渡せるようなインターフェースになっているのって、非常に重要だと重います。

 

木村:あの仕組みって結構テレビにも使われてるよね。リアルタイムで賛成反対が見れるっていうのは、色々応用が利くシステムだよね。

 

加川:極論ですが、あれがブラウザを起動した後のトップページにでてきたらいいんじゃないかって思うんですけど。

新聞が読まれない時代に民主主義国家に必要な最低限の情報を、賛成反対も含めてフラットな情報を、半ば強制的に届けられるようなものがあってもいいんじゃないかと。

 

木村:津田さんは政治メディアを作っていこうとする準備として、「ゼゼヒヒ」を作ったんだろうね。

俺は「ゼゼヒヒ」のベータ版から参加してるけど、やっぱりまだちょっと面倒くさいなと思ってしまう。ふとしたタイミングで「ゼゼヒヒ」からTwitterでリプライがとんできて、それに応えるみたいな形で参加させてもいいかもね。

 

加川:要するに、そこにアクセスしてアンケートに応えさせるインセンティブが欠けているってことですよね。でもそれって強制が含まれない限りかなり難しいですよね。だから僕は、ゼゼヒヒみたいなコンテンツをトップページに置くっていうのもありかなと。かなりパターナリスティックな意見になってしまいますが。

 

木村:そういうやり方をすると問題になるのは、例えばゼゼヒヒでインターネット選挙に賛成か反対かと問うと賛成が大半なのは自明であるように、まずインターネットに接続するひとたちっていう時点でバイアスがかかっていることだよね。

 

加川:潜在的な反対層を無視しているってことですか?

 

木村:そういうのはTwitterのTLと一緒で、潜在的な偏りがあることを無視できないよね。また、意見を問うことになると、イエスかノーだったらやっぱりノーの人の方が参加しない傾向が強いと思うんだよね

 

加川:いまは新聞を読む時代じゃないから、やっぱりネットが一番フラットでで誰にも届く媒体だと思いますが、確かに誰が見るかっていう問題はありますね。

 

木村:だからってそういう結果が出ると分かったうえでも、すすめていくしかないよね。

ネット選挙だって、国民の代表として選ぶんだから反対する理由はないよね。あれに反対しようっていう代表者は全国民の代表だっていう意識が希薄だから、選挙に負けても当然だと思う。だから政治家って憲法あまり知らないんだよね意外と。

 

加川:理想的な民主主義って、全国民を漏れなく代表するということで、でもそれは不可能だとわかっているんですけど、なるべくそれに近づけたいですよね。

理想的な民意の反映のさせ方として、国民に一生懸命政治を考えてもらって政治参加してもらうことと、SNSなどを用いて無意識な意見をビッグデータとして抽出して解析して、それを民意として機械的に反映させるっていう二通りあると思うんですよ。後者の意見はどう思いますか。ある意味機械的で完璧な民主主義ですけど。

 

木村:その機械的な仕組みが完璧だったらいいんだけど、それが完璧かという判断が難しいよね。

 

■96条改憲論はなぜ間違っているのか

 

加川:僕もそのシステムが理想的だと思っている反面、僕らは僕ら自身のことを信じていないというところもあると思うんですよね。自分たちを正しい民主主義国家の市民ではないと考えていると思う。

それは憲法96条の存在理由にも繋がっていると思うんです。例えば、イギリスは不文憲法で慣習法として成り立っているわけですけど、それは彼らが自分たちの議会制民主主義と決定が完璧だという自信があるから成り立つわけで。

日本だと、僕らは信頼のおけない僕らに対して縛りをかけておかないと、自由に変えられてしまうと問題だっていうことなんじゃないかと。

 

木村:それは権力分立の根本的な思想だよね。憲法が縛る国家って言っても、結局僕ら国民が主権を握っているわけだし。

 

加川:憲法を容易に変えられないようにしているのは、そのときの自分たちの考えが普遍的なものではないと思っているのではないかと思うんですね。でもそれは究極的には民主主義的ではないですよね。

 

木村:それはやっぱり法律と憲法の違いだよね。法律はある程度民主主義的に決められるけど、憲法は国のシステムそのものを変えるということの違いだよね。俺はそもそも3分の2というシステム自体が果たして本当に厳しいのかと思う。

 

加川:確か、アメリカなどのほうが厳しかったような覚えがあります。

 

木村:実際に憲法改正を発議したけど、96条の「議員3分の2以上の賛成」という要件が乗り越えられないことが原因で改正できずに社会問題化しているならともかく、いままでそういうことはないし、そんな状況で改正されるっていうのは恣意的なものを感じざるを得ないよね。

 

加川:まぁ要件そのものが委縮効果になっているというのもあるのかと思いますけど。その要件を超えるくらいじゃないと、そもそも憲法改正はすべきじゃないのかなと思います。

 

木村:すべきじゃないというよりは、俺はする必要がないんじゃないかと思う。もし必要に迫られているなら、むしろ国民の過半数という要件の方を変えるべきじゃないか。

そこを変えないで、発議だけを変えたいってのは、本当に憲法改正したいという姿勢が感じられない。いまは自民党がもう憲法改正できるくらい勢いがあるから、恣意的にやってるようにしか見えない。

 

■人が1人も死ななければ、それが平和なのか

 

加川:では、憲法9条に関してはどうですか?いままでこの問題をブレイクスルーするような議論はなかなか見たことがないんですが…

 

木村:水掛け論になってしまうもんね。

俺は9条も含め憲法をそんなに改正する必要がないと思っていて、憲法の条文が問題になって権利が侵害されているから改正するべきという話は具体的にないと思う。

 

加川:例えば自衛隊の廃止論などは、税金が自衛隊に流れているからなくせという批判はあるかもしれませんが、実際の権利侵害という点ではほとんど見当たらないですよね。

この前、自民党の改憲案を読んだのですが、かなり恣意的に国民の権利を縛るような方向に変えられていました。

 

木村:あの細かさでは憲法じゃなくて法律だよね。

いまの解釈の幅の広さじゃなきゃ、憲法が運営できないよね。だからこそ60年以上改正しなくて済んだ。政治家も、憲法なんて知らなくていいからね。そういう人たちが改正しようとして変えるのは、後々面倒くさいことになりそう。

 

加川:この前のサウジアラビアのプラントであったテロがありましたよね。国外での武器使用の制限が問題になりましたが、そういうことこそ解釈だけでいくらでも運用可能ですよね。

 

木村:現在平和維持活動では武器を携帯してもいいことになっていて、それを9条違反って言う人はいないし、わざわざ変える必要はないよね。

いま9条改正を叫んでいる人たちって、自衛隊が強いと困るんだよね。軍隊を持ちたいわけだから、自衛隊がザコなので軍隊を持たなきゃってならないと否定する理由にならない。

でも実際自衛隊って結構すごい戦力持っているよね。俺ら国民が兵隊として戦場にいかなくても十分戦えるくらい強かったらいいじゃんってね。

 

加川:では、そもそも自衛隊を持たないという議論はどう思いますか?

 

木村:あんまり自衛隊を持たないと考えたことはないかな。人間同士のレベルでもいきなり殴りかかられたら自分を守るし、それを単純に国家単位に敷衍したのが自衛隊だと思うし。じゃあ国家が攻撃されたとき、自衛隊がなくなったとしたら警察が守るの?それとも俺らが民兵として戦うの?という話。多分自衛隊を廃止したら俺らが槍持って戦うわけで、それって結局軍隊だよね。

どれくらい派手な軍隊を持つかという違いはあるけど、そういう論点からは結局逃れられないんだよね。結局銃とか兵士とかに嫌悪感を持っているかどうかの違いでしかないと思うんだよね。あとはさっきみたいに税金だからと文句言う人とかいるけどね。

別に軍隊がいるからって、人が死んでいくとは限らないし。

 

加川:でも、核兵器のような抑止力対抑止力という考え方だと終わりが見えないじゃないですか。

全米ライフル協会もそうですけど、銃社会だったら銃を持っていないのが危険過ぎるから、結局銃を無くせなくなっている。結局銃を一気に0にしないとなくならない。

軍隊もそうで、結局みんなが軍隊を持たなければ、なんとかなるんじゃないか みんなもつかみんなもたないかの二択ではないでしょうか。

 

木村:それが現実にできるかどうかだよね。やっぱり、進んでしまったテクノロジーを捨てることはできない。

軍隊の廃止を公にしたところで、結局マフィアとか暴力団とかが暗躍してしまうことになるし、それでは本末転倒だよね。

 

加川:現実的なラインをどこに設定するかによりますよね。日本の線引きのラインって、現実的に考えると確かに妥当なとこだと思いますね。

 

木村:いまって警官が銃を撃ってていいのに自衛隊は銃を撃てないっていうのはちょっと不思議だよね。軍をつくるよりは、自衛隊を強化するほうがいい。震災が起きた時に助ける組織としての軍隊ってやっぱり必要だし。

四川大地震とか、あれほどのレベルの震災が起きたときに数千人規模で人員が必要な任務の時に、専用の組織を置いておかないと対応できないよね。

 

加川:警察とか消防団とか他の組織もありますけど、海外に大量に人員が派遣されているときに、日本の問題はどうするのかっていうのはありますよね。

 

木村;そうだよね。だから常設の組織が必要だよね。

 

加川:僕は割と理想論的な考え方をしてしまって、現実的な視座が欠落しているような気がしていて、参考になります。

 

木村:別に現実的というわけでもなくて、理想的な世界が軍隊のない世界だという考えではそもそもないかな。やっぱり軍隊って太古の昔からあるし、程度の差があっても、有事のときに戦えるだけのポテンシャルを持っている組織は理想論の世界であっても存在していいんじゃないかと思ってる。人が一人も死ななければそれが平和なのか?とも思う。