「問題意識が高い」ということ

いま、ジャーナリストに必要なものはなんですかと聞かれたら、迷わず「問題意識の高さ」と答える。あくまで、僕の考えではね。

当たり前だろと思うかもしれない。いや当たり前だけど、これってかなり要求度高いんだよ。

普通の人だったら見逃してしまうような、常識や日常に潜む問題、もしくは問題になっている事柄のもっと奥深くにある問題をえぐり出すというのは、相当な批評の目を持っていないとできない。

それを深く考えさせられたのは、藤代裕之氏の「復興庁職員のTwitter暴言騒動、報道に問題はなかったか」と「インターネットと私刑化する社会」という記事、またこの事件にまつわる一連の彼のツイートだ。

「誰もがメディアで正義をぶつけ合う。これが人々が望んだ『ウェブ社会』なのだろうか」という指摘は、目からウロコがぼろぼろ落ちた。というか、完全に身につまされた。

問題意識が高いということをうまく表現することは難しいけど、今日の「批判的ディスコース分析」という勉強会で非常にわかりやすい具体例があったので、紹介してみる。

とりあえず以下の会話を見て欲しい。この会話はフェアクラフの「ディスコースを分析する」からの引用。

1 客 : ギネスを一杯、お願いします。

 

2 バーテンダー :  お客さん、お歳は?

 

3 客 : 22歳です。

 

4 バーテンダー : わかりました、はいどうぞ。

以上の会話をみて、みなさんはどう考えるだろうか。

この会話は、要するに「未成年にお酒を提供してはいけない」という前提のもとで成り立っている。もし未成年にお酒を提供すれば、店側は法律で罰せられるからだ。

もし未成年者飲酒禁止法がない国の人たちがこの会話をみても、なぜこのタイミングでバーテンダーが年齢を問うのかがわからず、相当な違和感を持つだろう。

このように、この会話は未成年者飲酒禁止法などの社会的背景・文脈にかなり依存している。それを分析することが「ディスコース分析」である。

しかし「批判的ディスコース分析」は、その社会的背景に対してさらに批判的に考察する。

批判的ディスコース分析ではこの会話をどう考えるかと言うと、例えば「未成年による口頭の年齢確認に信頼性はあるのか」とか、「形だけの年齢確認は、むしろ店側の責任逃れではないか」など、この会話を支える社会的背景・文脈に潜む問題を分析するのだ。

これを藤代氏の記事に当てはめて考えてみよう。

復興庁参事官によるTwitterでの暴言は明らかに、コイツは批判されるべきであるという支配的な文脈があった。それに某新聞社はキタコレ!と乗っかった。

しかし藤代氏は、「いや待て。それは官僚の激務とか息苦しさを無視してないか?そもそも匿名のTwitterでの暴言はそこまで責められるべきなのか?」という、支配的なものの見方に対して異議を唱えたのである。

これが、僕が思う問題意識の高さだ。

要するに、「おれ、沖縄の米軍基地とかヤバいと思うっす!」とかいうのは問題意識が高いということではない。

どうヤバいのか。なぜヤバいのか。本当にヤバいのか?むしろあったほうがいいんじゃない?

そこまで考える思考力・洞察力を「問題意識が高い」と呼ぼう。

Twitterとかを見ているとたまにズバ抜けた洞察をしてる人がいて、もうこれ才能じゃんとか思わなくもない。

でも、支配的な見方を疑うとか、丁寧に文脈を観察するとかを意識しながら世の中のことを考えると、自然とそういう思考パターンが身につくのではないかなと。

うまい批評をいくつも読むと、なんとなくそういうパターンの手触りみたいなものを感じなくもない。

後天的に成長するものでなければ困る。僕が。