クラウド化するジャーナリズム

大学院の授業で記事を書きました。皆さんの意見を参考にして、より記事をブラッシュアップさせたいと思いますので、コメントして頂けると嬉しいです。

 

 

「クラウド化するジャーナリズム」

 

 「ストーリーを書いておしまいではなく、ユーザーとの対話を続ける」

先日のMITメディアラボと朝日新聞の合同シンポジウムにおけるハフィントン・ポストのロイ・シーコフ氏の発言は、ユーザーを巻き込む新たなジャーナリズムの未来を予感させるとともに、日本のメディアの双方向性が間違っているのではないかと感じさせるものだった。

 

成功を収めた「参加型メディア」

 米国のハフィントン・ポストは、政治からゴシップまで幅広いジャンルを扱い、月間利用者数が4600万人、記事に対する月間コメント数が1000万件にも及ぶ人気ニュース・ブログサイトだ。その人気の理由は、ユーザーが記事やブログにコメントをして白熱した議論が巻き起こる「参加型メディア」という特徴にある。さらにハフィントン・ポストでは、一度サイトに掲載した記事でも、ユーザーからの意見や情報を取り入れて一日に何度もアップデートすることがあるという。例えば、今年4月に発生したボストンテロ爆破事件では、ユーザーから次々と寄せられる膨大なコメントや映像を記事に反映することで、刻一刻と変わる事件の情報をリアルタイムで伝えることができた。

 ハフィントン・ポストのロイ・シーコフ氏は、「情報源は多ければ多いほどいい」という。「参加型」で成功を収めたメディアは他にもある。例えば英の放送局CNNでは、読者からの投稿ビデオを掲載する「iReport.com」というコーナーをウェブサイトに設けており、2009年のイラン大統領選挙では、取材規制のなか現地の貴重な声を伝える役目を果たした。また、米フロリダ州の「Newspress」では、公共工事を巡る調査報道に関して地元市民に情報提供を呼び掛けた。他にも、米NewYork Timesは「The Local」という地域に根差したユーザー参加型メディアを立ち上げた。記者が編集を担当し、市民からの記事も募集している。

 

宙をさまようユーザーの声

 日本のメディアも、積極的に双方向の仕組みを取り入れている。例えば日本経済新聞のデジタル版では、クイックvoteという特設コーナーを設けて読者からアンケートを募集し、その統計データをもとに記事を作成している。また、NHKの報道番組「NEWS WEB」では、放送中に視聴者からTwitterで寄せられた質問に対して、出演者が答えることに重点を置いた番組になっている。確かにユーザーは、日本のメディア報道に対して声をあげられるようになった。しかし、その声は誰かに届いているのだろうか。

 

荒れ狂うYahoo!ニュースコメント欄

 Yahoo!ニュースのコメント欄は、極端な偏見を持ったユーザーによるコメントで埋め尽くされている。このようなヘイトスピーチが放置されているのは、日本のメディアにおいてユーザーからのコメントが基本的に無視もしくは放置されているからだ。一方、米ハフィントン・ポストでは、1日に30万件ほど寄せられるコメントのなかで、単なる中傷や議論の役に立たないものを機械と人の手によって選り分け、コメント欄が健全で有意義な言論空間になるように手を加えている。だからこそユーザーは積極的に議論に参加して、ときには記事に反映できるような良質なコメントが集まってくるのだ。

 

オーマイニュースの失敗

 かつて日本の市民参加型メディアとして、「オーマイニュース」というニュースウェブサイトがあった。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が初代編集長となり、市民による記事とプロによる編集という形態で、市民ジャーナリズムを標榜していた。しかし閲覧数が伸び悩み、2009年に開設からわずか3年程度で閉鎖に追い込まれた。その原因は諸説あるが、ジャーナリストの藤代裕之氏は日経IT-PLUSのコラムのなかで、市民記者の記事が低レベルのままであり、編集部員たちは市民記者の記事を、新聞の『読者投稿』くらいにしか思っていないのではないかと指摘している。

 

クラウド化するジャーナリズム

 米国に比べて日本のメディアは、ユーザーや市民記者に対してあまりにも無責任ではないだろうか。各国のメディアが双方向性を目指す背景には、ユーザーとの共同作業により自分たちだけではカバーしきれない地域やネタの取材、またはコストの関係で難しい大規模な調査報道などができるという利点があるからだ。今後、メディアが報じた情報をユーザーが補完・修正して随時アップデートしていくという、ジャーナリズムのクラウド化がますます進んでいくだろう。そのとき日本のメディアは、無益で形だけの「参加型」から脱皮しなければならない。

 誰もがジャーナリストになれる時代だが、それはプロとアマチュアの垣根が取り払われたということではない。むしろ、そこには双方の明確な役割分担がある。メディアに所属するプロジャーナリストは、ユーザーから寄せられた玉石混交の情報を精査し、コメント欄を整理したり、市民記者の記事を丁寧にチェックしたりする「エディター」としての役割が強く求められる。一方、ユーザーが消費者という身分を捨てアマチュアジャーナリストとして報道の営みに参加するのであれば、「情報の真偽を確認する」「客観性を持つ」など、情報の送り手として振る舞う覚悟が必要であるということを自覚しなければならない。

 日本のメディアの双方向性は、まだまだ推し進める余地がある。メディアとユーザー双方が手を取り合い協力しあえば、ジャーナリズムの未来はいまより明るいものになるはずだ。