「やりたくてAV女優やってるんだよ!」という言葉の安心感

ちょっと前のはてブの人気エントリで、「どうして性を売るのはダメなの?」という記事があった。このエントリ自体、性産業に関する議論を法的・感情的側面からバランスよくまとめていて素晴らしい。

この記事の途中で、現職の性産業従事者であると思われる女性のTweetをまとめた「なぜ、性を売るのがだめなのか?」というTogetterページが紹介されている。性産業に関する講演かなにかに参加したと思われるオバサンの『自ら身を差し出して「商品」になっているなんてウソ』というTweetに対し、『あたしはあたしの意思で性売ってるんだよ』と反論し、以下、かなりマトモな性産業批判に対する批判を繰り出している。コメント欄を見ても、かなりこの風俗嬢らしき女性を支持する人たちばかりだ。

AV女優や風俗嬢の「私たちはやりたくてやっているんだ!」「風俗だって仕事だ!」という言葉には説得力がある。確かに、「性を売る」ということは広い意味では、アイドルだって同じであるはずだ。加藤鷹が昔、とある討論番組でグラビアアイドルに対し「君たちは所詮オナペットなんだよ!」と叫んで、深く頷いたことを思い出す。

それに、「お金を稼ぐためにAV女優になるしかなかった」という時代ではなくなったという現状は、中村淳彦さんの「職業としてのAV女優」という本によくまとまっている。実際、新人発掘の方法ではスカウトの割合が減り、自ら志願してAV女優になる女の子たちが増えているらしい。

 

ただ僕は、「私たちはやりたくてAV女優やってるんだ!」という言葉を聞いたときに感じる男としての「安心感」にも、ちょっと危うさを感じるのだ。

それは、僕たち男が性欲解消のために女性を消費するときの自己肯定、「うん!君たちはやりたくてやってるんだよね!だからいいよね!」という免罪符になりかねないのではないか。

 

ちょっと前まで、おぎやはぎが司会で人気AV女優が多数出演する「おねだりマスカット!」という番組が放送していた。僕はそれほど熱心な視聴者ではなかったが、ザッピングして偶然見つけたら大体最後まで見ていた。

なぜこの番組は、僕にとって魅力的だったのか?それは、当然だが出演者がAV女優だったからだ。もう少し詳しく述べると、僕はその番組が面白かったから見ていたというより、「AV女優の素顔はこんなに明るくて、皆楽しんでAVやってるんだ!」ということを確認するために見ていたのだと思う。

つまり、普段彼女たちのあられもない姿を観察している罪を、明るく元気に振舞っている姿を見ることで許されている気持ちになったのだ。

これはもしかすると、昔いじめていた子に同窓会で再会したとき、普通に幸せな人生を送っていて安心することに近いかもしれない。

そのことに気づいたとき、僕は率直に言って自分がかなり気持ち悪いやつだなと思った。

でも言い訳するわけではないけど、そういう気持ちで「おねだりマスカット」を見ていた人が他にもいるのではないだろうか。AV女優のTwitterやブログをウォッチしている人はどうだろうか。

 

ただし、これはあくまで男の僕からの目線であり、そもそもAV女優や風俗嬢が「かわいそう」な存在でない限り、AV女優を性的に消費することは罪でもなんでもないので、このような自己嫌悪はあまり意味がないのかもしれない。

 

しかし、僕はやはり「やりたくてやってるんだよ!」と喝破するAV女優や風俗嬢の言葉の裏に、なにか大きな構造的問題が隠れているような気がしてならない。それはいつの間にか僕ら男性のマチズモを肯定しているかもしれない。

「自分がやりたいならいいじゃないか」という見解が一般論として日本で浸透したとしても、橋下徹氏の「米軍は風俗業を活用すればいい」という発言は、やはり世界では到底受け入れられるはずはない。それは女性が性奴隷として扱われた歴史の中で到達した、世界的なコンセンサスだ。

 

もし、彼女たちが「やりたくてやっている」と自分に言い聞かせなければならないのだとしたら。

こんなことを言うと、Togetterにまとめられていた女性に「馬鹿にすんな!同情するなら金をくれ!」と言われるかもしれない。しかし、彼女は結局、いままで性産業が積みあげてきた歴史を肯定しているだけではないか。

僕ら男性だけではなく女性、更に性産業従事者本人の心の奥底に潜む、無意識的な差別。こんなものがあるとすれば、僕らはそれにどう抗えるのか。まず、ハードディスクにあるアダルトビデオのデータをすべて削除することから始めよう(嘘)。