【寄稿】余命60年くらいの僕が「安楽死」について考えてみた

(本記事は、加川の友人である津島天太が執筆しました)

 

先日、昨年開業したオランダの安楽死専門クリニックに患者が殺到しているという記事を読みました。

http://m.news-postseven.com/archives/20131015_219636.html

この記事によると、オランダでは2002年に安楽死法が施行されてから、専門のクリニックでなくても安楽死の処置ができるといいます。

骨折をして走れなくなった競走馬を、これ以上苦しませない為にと安楽死させるというのは何処かで聞いたことがありますが、「人間が安楽死!?しかも人気なの!?」と気になったので、人間にとっての「安楽死」とはなんなのか?実際にどのように行うのか?を少し調べてみました。

 

■安楽死と尊厳死の定義

安楽死とは、「苦しみながら生きながらえる病人を苦しみから解放するために、薬物などを使用して“意図的に”死なせる行為」だそうです。一括りに安楽死と言っても定義がいくつかあり、わかりやすく分類すると4つあります。

 

1、積極的安楽死

激しい苦痛を伴う病の患者の苦痛取り除く目的として死なせること

2、消極的安楽死

激しい苦痛を伴う病の患者の延命処置(手段)を中止すること

3、間接的安楽死

激しい苦痛を取り除く処置が結果として死期を早めること

4、自殺幇助

激しい苦痛を伴う病の患者に自殺の手段を提供すること

 

大まかな処置方法の分類としては、医師が直接的に死に至る処置を施す「積極的安楽死」と、延命治療を中止して自然に任せる「消極的安楽死」の2種類に分けられます。

また、それとは別に「尊厳死」というものがあります。これは処置方法の違いというより概念の違いで、病に苦しむ「患者(本人)の意思」を尊重して延命処置をやめ、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えることをさします。

要するに、安楽死は処置方法もひっくるめて「第三者が決定」するもので、尊厳死は「本人(患者)の意思を尊重し決定」するものです。

 

■安楽死の手段

では、実際に安楽死はどのような手段で行われているのでしょうか。正確には「尊厳死」に当たりますが、安楽死問題を取り上げたスイスのドキュメント動画を紹介したいと思います。

内容は、ベッドで横になっている74歳のフランス人女性が、白い液体を飲み、眠るように安らかに亡くなられるというもの。

http://www.gekiyaku.com/archives/18315814.html

まず、驚いたのは口から自分で飲むということ。

僕は「きっと全身麻酔のように点滴から投与して安らかに死ぬんだろうな」と、勝手な想像を膨らませていたので、まさか自ら薬液を口へ運ぶとは思いもしませんでした。

もう一つ驚いたのは、語弊があるかもしれませんが、これから死ぬというのに、女性がやけにあっさりしている(ように見える)ということ。

もちろんそれは、彼女について何も知らない僕が死の瞬間を5分だけ切り取ったものを見てしまったせいもあると思います。それにしても、これからこの女性が亡くなられるようには見えません。

白い液体を飲んでから息を引きとるまで、女性は「苦くて不味いわ、チョコレートを頂戴」などと言っており、その姿はまるで、友人から貰った飲物が気に入らなかったのでお口直しにチョコレート。と、そんな調子にも見えます。

 

■美しい「死」とは?

正直なところ、目を閉じた姿を見ても全くと言っていいほど死を実感できませんでした。これは、人の死の瞬間を映した動画として相応しくないとさえ思いました。しかしそれが、尊厳死の本質なのかもしれません。こういう見方があってはいけないのでしょうか?

人ひとりの死を扱った映像なのに不謹慎だと言われても仕方ないですが、動画に「勇敢だった」とか「美しく素敵な死の迎え方」とコメントしている方々に対しては、よく人の死について美化した感想を言えるなぁとも思います。

映画や小説などの創作物に対しての感想ならまだわかりますが、ひとりの女性が亡くなっている事実について実感がないんですかね。こんな僕も含めて。

もし私が一言だけコメントするとしたら、「勇敢にも美しくも儚くも見えず、ただただあっという間だった」と残します。これはこれで失礼な感想かもしれません。しかし、生前に彼女がどのような活動をしていたか僕は知らないので、これが率直な感想です。

 

■安楽死の倫理

手塚治虫さんの漫画「ブラック・ジャック」には、ドクター・キリコという人物が登場します。命を救う外科医ブラック・ジャックに対して、主に患者に楽に死を迎えさせるという真逆の処置を行う安楽死専門医です。時に、倫理的に認められないような強引なケースもあります。

実際に、世界的にみて安楽死がほとんど合法化していない理由は、この倫理的に許されるかどうかが問題視されているからです。

安楽死の手段に関する区分として、積極的安楽死や消極的安楽死がありますが、その他にも安楽死を決定するまでに至る区分として3つ分類が挙げられます。

 

1、自発的安楽死

患者の意思による場合

2、非自発的安楽死

患者に対応能力がない場合

3、反自発的安楽死

患者に対応能力があるにも関わらず、本人の意思を問わず、あるいは意思に反する場合

 

この分類をキリコが登場する回に当てはめると、自発的安楽死と非自発的安楽死の数は半々くらいです。キリコは「生きる望みを絶たれた人間は、楽に死なせてやった方がよっぽどいい」という哲学を持ち、反自発的安楽死もやりかねません。しかし、ただの自殺に協力はしないのがキリコの医者としての信念。

それが彼を魅力的なキャラクターにしています。

 

■エルアーナの尊厳死問題

キリコの例のように倫理的に認められない尊厳死が、実際に事件としてイタリア全土で話題となったケースがあります。2009年に起こった、「エルアーナの尊厳死問題」です。

エルアーナは21歳の時に、交通事故で植物状態に陥ってしまい、それから17年間まったく回復の見込みもないまま延命処置を受けていました。

しかし、2009年2月9日、家族の強い要望により延命処置を停止。エルアーナは亡くなりました。

この処置に対しイタリアでは賛否が分かれ、大きく話題となりました。最大の理由は、キリスト教の影響です。5世紀以後、カトリック教会では自殺を宗教上の罪とし、13世紀では法的に犯罪とみなされ、信者にとっては植物状態とはいえ、安楽死は認められないと禁じてきたのです。

延命処置に先んじて、家族は安楽死を法的に認めさせるために長年イタリアで裁判闘争を繰り広げ、2008年7月、最高裁がようやく延命措置停止を認め決定を支持しました。しかし、受け入れ先の病院が見つからない、尊厳死に反対する人々による妨害など、数多くの困難がありました。

また、尊厳死反対派のベルルスコーニ首相と、賛成派のナポリターノ大統領による対立にまで問題は発展し、延命措置停止阻止法案を審議していた議場では「大統領が殺した」などの怒号に対しての野次などが飛び交い、騒然となりました。結局のところ、法案はエルアーナの死により、目的を果たせぬまま廃案になります。

この一件から尊厳死や終末期医療のあり方などが、改めて世界的に見直されてきています。

 

この「エルオーナの尊厳死事件」を、立場の異なる3人の視点から描いた群像劇「眠れる美女」という映画が2013年10月19日より、日本で公開されます。

安楽死や尊厳死に興味のある方、興味を持ってしまった方、是非観てみてください。

事実に基づいた映画っていいですよね、僕は好きです。

きっとあなたも好きです。

 

「眠れる美女」予告編動画

http://youtu.be/8FnETRGojv0

「眠れる美女公式サイト」

http://nemureru-bellocchio.com/news/

 

■安楽死が認められている国は?

突然ですが、実際に安楽死が合法として認められている国は何カ国あるでしょうか?

そうです、5カ国です。

スイス-1942年

アメリカ(オレゴン州)-1994年「尊厳死法」成立

オランダ-2001年「安楽死法」可決

ベルギー-2002年「安楽死法」可決

ルクセンブルク-2008年「安楽死法」可決

アメリカ(ワシントン州)-2009年

安楽死を合法化している国としては、スイスが断トツで歴史が長いのです。

スイスでは、代表的な“安楽死支援組織”が2つあります。一つは「尊厳」を意味するディグニタス、もう一つは「出口」を意味するエグジット。

ディグニタスは「人生に終止符を打ちたいが、法律によって自国では不可能だという外国人の自殺を幇助する」ことを目的に1998年に設立された安楽死協会で、履き違えてはいけない自殺予防にも力を入れています。

エグジットは外国人の受け入れをするディグニタスとは逆に「スイスに住む人々」の自殺幇助に力を入れている組織です。

こちらはディグニタスより歴史はながく、1982年に発足し2000年の段階では三千人以上の会員が安楽死に手を貸しています。

この安楽死支援の根拠となるのが、「利己的動機」による自殺幇助は禁固5年以上の犯罪とみなすのに対し、患者を苦痛から救う自殺幇助は「非利己的」と解釈する」というスイスの刑法です。

スイスにおいての自殺幇助の条件は

1、末期症状にある

2、判断能力があり、外部からの圧迫がなく、自分の意思によるもの

3、熟慮のうえでの選択である

の3つ。この条件が海外からの観光客にも当てはまってしまうのが問題視されており、条件を見直す動きは年々高まってきています。

 

では、私たちの日本では安楽死は合法なのか?

そうです、違法です。正解。

しかし!

1、死期が切迫していること

2、耐え難い肉体的苦痛が存在すること

3、苦痛の除去・緩和が目的であること

4、患者が意思表示していること

5、医師が行うこと

6、倫理的妥当な方法で行われること

この6つが満たされれば、違法性が阻却される可能性があります。なかなか厳格な条件です。

 

■僕が自殺をしない理由

ブラック・ジャックに出てくるある男の子は「試験はデタラメ、カンニングしたやつは及第、先公はアルバイトで授業が休み、おまけに東大へ入るために一年間遊ぶなってんだ!こんなバカらしい世の中に生きていてなんの意味があるんだ!」と嘆き、それを理由に自殺を幇助してくれと言っています。

全く…やれやれ、だよ。

ネットで“自殺募集掲示板”などと検索するといくつか出てきますが、大抵そんなやつに限って「楽に死にたい」なんて考えているんですよね。

ほんのいっとき、どうやって自殺をしようかなんて調べた時期がありまして、飛び降り(込み)は怖いし、市販で手に入る薬品で作る高濃度硫酸?がどうとか色々な方法が出てきたのですが、最終的には酔っ払って睡眠薬を飲んで車の中で一酸化炭素中毒が一番楽に死ねるんじゃないかというところに落ち着きました。でも「車がないし免許もないじゃん!」となり「自殺をするためには、車を買うお金と免許を取る時間が必要だ!さぁ働こう!!!」なんてむしろ生きる意味を見つけてしまったなんて事が昔ありました(笑)

なんだこの話!!!!

 

■そのとき、僕は延命措置を願うだろうか

とまぁ、ここまで安楽死や尊厳死についてお話してきましたが、僕自身“合法化”について賛成なのか反対なのか、現時点ではどちらとも言えません。 ブラック・ジャックの言うことも、ドクター・キリコの言うことも一理あるなぁ、なんてブレブレです。

自分が“その時”になってみないと、わからないじゃないですか。

大切な人がいたとして「あなたの苦しむ姿はこれ以上見たくないわ」なんて言われたら、それはそれで納得してしまいそうだし、「あなたの苦しむ姿は見たくないけれど、どんなカタチであっても長生きしてほしい」なんて言われたら、「延命措置でもなんでもして君の好きなようにしてください」と言ってしまいそうだし。

「人それぞれ」って僕の嫌いな言葉の一つなのですが、これに関しては何が正解なのかわからない問題です。しかし、僕は苦しんで死にたいとは全く思いません。それだけは、僕のブレないところだと思います。

僕ひとりではなく皆さんの考えもお聞きしたいです。極端にぶっ飛んだ考え方で、尚且つ説得力のある話が聞けたら面白いですね。

 

最後にドクター・キリコの有名な台詞を一つ。

「生きものは、死ぬときには自然に死ぬもんだ。それを人間だけが無理に生きさせようとする。どっちが正しいかね、ブラック・ジャック」