取材をするときに気をつけたい3つの教訓

 先日、大学院の授業で中国人留学生とともに取材・執筆した記事が、晴れて我が早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース(長い!)が運営しているネットメディア「Spork!」に掲載された。また、僕らを指導して頂いた朝日新聞社記者の奥山俊宏さんが取材経緯を含めた記事を書いてくださり、朝日新聞の夕刊社会面トップに掲載された。

 この記事を作っていくなかで、僕が取材するうえで大切だと思った3つの教訓を書きたい。「そんなの当たり前だろ」と言われるかもしれないが、実際にやってみるとなかなか上手くいかないものである。

 (ちなみに、記事の内容は決して明るいものではないので、固有名などを避けている。まずは同記事を一読したほうが分かりやすいかもしれない。さらにシェアしてくれたら嬉しいかもしれない。)

①ファクトを積み重ねる

 僕がまず初めに粗々の原稿を書いて先生に提出したときのことだ。僕は原稿のなかで「消費者が誤解してしまうのではないだろうか」という一文を書いたのだが、「これはだめだ」と怒られた。問題は内容ではなく、表現のほうだ。そのときに言われた言葉は忘れない。

「読者にいかにもそう思わせるような『事実』を書け」

 いまになって思えば当然のことだが、新聞はブログとは異なり、自分たちの意見は社説以外ではほとんど書かない。しかしもちろん、その記事には伝えたい意図がある。記者は直接「こうではないか」と書けないかわりに、ひたすら事実を積み重ねることで読者に意図を伝える。だからこそ信頼される。「好き放題自論をまき散らしているわけではないのだな」と思われる。ここに、新聞社の言論機関としてのこだわりと強さがある。

 今回の取材は特に、記事の核となるのが店舗の売り場の描写だったため、商品の位置関係やポップの形状などがなるべく具体的にわかるように、描写と写真を見比べて確認した。また、ファクトとしてとにかく強度を持つのが関係者の「言葉」だ。今回は消費者庁、店舗責任者、広報課など徹底的に言質を取ることを心がけ、取材対象者の発言意図がねじ曲げられないように録音を文字起こしして、記事に盛り込んだ。また、過去に類似の事例などがある場合は引用することで説得力が増す。

 とにかくファクトを積み重ねること。また、どうしたらより効果的なファクトが取れるかを考えることが重要だ。

②1を聞いて10を知ったら、残りの9を質問する

 実は、僕が「この癖直さなければマズいな」と思ったのが、自分の頭のなかでわかった気になることだ。取材していると、相手の発言が、自分の頭のなかで「こういう意図だろうな」と思うことがある。しかし、実際にその人は僕が意図した内容そのままの発言をしているわけではない。しかし、記事には当然発言そのものを載せざるを得ず、記者があとから補足することは許されない。もちろん自分のミスリードの可能性もあるからだ。

 一般的に「1を聞いて10を知る」人間は優秀だとされるが、記者に限っていえばそれは弱点にもなるかもしれない。いや、1を聞いて10を知るのは記者としてもやはり必要な能力だ。ただし、残りの9をちゃんと確認しなければならない。相手の発言を受けて、9個も新しい質問が浮かべば素晴らしい。しかしそこはまるで子どもに戻ったような気持ちで、「ねぇねぇそれってつまりこういうこと?」と何度も聞き返す。もしかしたら、自分が前提にしていた認識がひっくり返るかもしれない。そこからニュースが見つかることもある。当たり前だと思っていることでも、質問したほうがいい。

 特に今回の取材では、相手を警戒させないために、まるで何も知らない一般客かのような振る舞いで質問したりした。相手が警戒したら、本心を聞けないからだ。記者はなかなか演技力も必要である。

③諦めない

 実は当初、消費者庁に対して取材を申し込んだものの、「景品表示法違反かどうかの調査には半年ほどかかるため、いますぐ個別の案件には回答できない」と突っぱねられた。僕はこのあまりに官僚的な返事に見切りをつけ、さっさと諦めた。しかし、留学生の子は違った。彼女はなんとアポなしで消費者庁の前まで行き、「いま消費者庁の入り口にいます!話を聞いてください!」と電話をかけたのである。消費者庁の担当者もこれには観念。ついに彼女は証拠写真とともに問題を伝えることに成功した。そこで彼女が取ってきた消費者庁の言葉は、この記事内でとても重要な役割を果たしている。正直に言って、僕は悔しかった。「官僚はマニュアル通りにしか動かない」という常識に囚われていた僕が情けない。

 そんな悔しい思いをしていた矢先、僕にもチャンスが巡ってきた。広報課に対する取材依頼だ。しかし、僕たちは企業の問題点を指摘しているわけだから、広報課がノーコメントを貫くのは予測できた。しかも僕はただの学生。会社の受付の電話を通して取材をお願いしても向こうは取り付く島もなく、押し問答が40分ほど続いた。僕はだんだん凹んできてしまい、もはや自己嫌悪に陥り始めていた。ここが引き際か…。しかしそのとき、横にいた先生が小声で僕に「それなら取材を拒否したということでいいのか。店舗責任者は認めているし、ちゃんと説明したほうがいいのではないか」と耳打ちした。そうか。少し誇張した表現になるかもしれないが、一応僕たちは社会的不正義を暴こうとしているのだ。僕が諦めてはいけない。そして、相手を説得するときに最も重要なのは、その選択が相手にとって不利益だということを示すことである。僕は丁寧に、「自ら説明したほうがあなたたちのためだ」ということを伝え、なんとか質問状を渡すことに成功した。翌日の午前中、広報課から質問状に対する丁寧な回答を頂いた。

 あのとき僕が引いていたら、本社広報課の言葉という重要なファクトは得られなかった。自分がやっていることは間違っていない、読者のために取材が必要だと信じること。それが諦めないために必要な心懸けかもしれない。

 

 以上が僕の教訓と、そのエピソードだ。教訓そのものは当たり前かもしれない。しかし、僕が身を持って実感したその教訓の「重さ」が伝えられたら嬉しい。

以前、大学院でインターンシップ活動の発表会があったときに、友人がとてもいいことを言っていた。

「ぼくたちはジャーナリズムの理論を学んできたが、それを実践するのは難しいと思った」

言うは易く行うは難し、ということだ。