10年後を見据えて

久しぶりのブログ更新。

期間が空いてしまったのは、何を隠そう2年ぶりの就職活動をしていたからである。

 

おかげさまで、公共放送を担う某テレビ局に、記者職として入局が決まった。相談に乗ってくれた皆様には感謝してもし尽くせない。
(一昨年の悲惨な就職活動状況から僕を知る旧知の友人たちには、本当に心配をかけたと思います…)

 

僕の今回の就職活動を振り返ってみたい。
まず、エントリーシートを出したのは8社ほど。出版・新聞・マスコミ・ウェブメディアのみだ。
いま思い返すと本当に無謀な就職活動だったが、明確にやりたいことがあって大学院にまで来てしまったのだから、むしろ一般企業を受けることのほうが僕にはリスキーだったのかもしれない。

8社の内訳は、いわゆる大文字のジャーナリズムを担うマスコミが6社。媒体は新聞もしくはテレビだが、大体なにをしている企業なのかは想像がつくと思う。

残りの2社は、ひとつはウェブメディア。もうひとつは出版社だ。
前者は、専門的なIT情報を、それが欲しいユーザーに向けて的確に届けるウェブメディアだ。ウェブ媒体のみを扱う企業としてはおそらく最も成功していて、ビジネスモデルがしっかりしている。
後者は、ジャーナリズムの気概が強い経済系の週刊誌を発行しているが、最近カリスマ編集者の登場によって、その週刊誌のオンライン版を急拡大させた出版社だ。海外におけるウェブメディアの最先端のモデルを貪欲に取り入れつつ、こちらもマネタイズやウェブならではの記事の表現に力を入れている。

 

さて、僕の就活の、というか人生の目標はこういうものだ。
「社会的・政治的なできごとを、大衆(特に若者)に届ける。そして考えてもらう」
いやはや、我ながら非常に青臭いと思う。
僕の問題意識は、学部生の頃からずっと、端的に言えば「若者の新聞離れ」であった。別に媒体は新聞でなくても構わないのだが、要するに「社会的・政治的できごと」に国民が無関心であるということはマズい。
だからこそ、いかに報道に対する関心を惹きつけるか?ということは、記者としてこれからずっと考えていくつもりだ。

一方で、もっと現実的な問題がある。「社会的・政治的なできごと」が重要なのは当たり前として、それが大衆に届かないと、ジャーナリズムを担うメディアがジリ貧になってしまうのだ。
「ちゃんと記者たちが飯を食えるくらいはお金を稼いでメディアが運営できる」という状態にしておかないと、誰も儲からない癖に大変な報道の仕事なんて、やらなくなくなってしまう。

つまり、公共的な意味でも、ジャーナリズムを担うメディアが健全に運営できるという意味でも、「報道を大衆に届ける」ということは非常に重要なわけだ。

 

そこで、僕はその目標を達成するために、2つのアプローチを採った。
それが、マスコミに就職するか、ウェブメディア&出版に就職するかの2択である。

まず、ウェブメディア&出版の場合の僕の戦略はこうだ。
とりあえず、ウェブメディアがいかにマネタイズしているかのノウハウを学ぶ。広告収入が主な収益となるウェブメディアは、公共性やジャーナリズムなんかよりもまず(猫の画像やおもしろネタを扱うウェブメディアが大量にあることから分かるとおり)「読まれる」ことが大切だ。まずは、読者のことを考えながら死に物狂いで「読まれる」コンテンツをつくる。そして、将来的には「社会的・政治的なできごと」を扱うウェブメディアを、マネタイズできる形で運営することがゴールだ。
僕は「社会的・政治的なできごと」をおもしろいコンテンツとして消費してもらう可能性を、特にウェブならではのデザインや表現に見出していた。それに、いまの若者に対して「新聞を読め!」と言うよりは、「あのサイトの記事を読め!」と言うほうが、ずっと心理的なハードルは低いだろう。

では、マスコミの場合の戦略はどうか。
メディアの環境が大きく変わったとはいえ、「社会的・政治的なできごと」を扱うメディアの中心は、いまだに伝統的なマスメディアだ。強力な取材力を持ち、新聞やテレビなどマス向けの媒体で質が高く公共に資する情報を届ける。その組織のなかで記者として働き、取材力を磨く。バンバン素晴らしい記事を書く一流の記者になることがゴールだ。しかし、僕の問題意識は常に「質の高い報道をしたところで、読んで(観て)もらえなければ意味がないじゃないか」ということだった。実際、新聞の購読者数は年々減少している。だからこそ、「読まれる」「稼ぐ」という意識が強いウェブメディアに惹かれていた。

 

しかし、結局僕はマスコミ、そのなかでもテレビ局に入ることに決めた。

その理由は、大きく分けて3つある。

1つめは、やはりジャーナリズムは本来的に「おもしろコンテンツとして消費される」ということと相容れないという理由だ。例えば少し前に、週刊誌の記事が一斉に韓国叩きの記事を掲載しはじめた。それはなにより「売れる」コンテンツだからだ。しかしそれが質の高いジャーナリズムかというと、やはり疑問が残る。現状の私たち日本人の情報リテラシーは、米国のように熱心に選挙に参加したり政治的発言をするようなレベルにはないと思う。米国では、真面目な政治ネタを扱うウェブメディアに、コメントやアクセスが殺到することはよく見られる。まず、そのリテラシーのレベルをどうにか底上げしていく必要がある。

2つめは、いまはまだマスコミに比べて、ウェブメディアや出版社に取材力のある記者を養成する土壌が弱いことだ。知り合いのジャーナリストや先生にも、「今後5年くらいは」という留保つきで、同様のことを言われた。やはり、僕は記者という仕事にこだわりたいし、一流の取材力を身につけたい。自分の性格としても、下手にマネタイズやビジネスモデルを考えるより、記者職のほうが向いていると思っている。

3つめは、僕が受験したウェブメディアには、すでに優秀な友人たちが入社しているということだ。彼(彼女)らは僕とは比較にならない明晰な頭脳で、今後のメディアのあり方やマネタイズ、魅せるデザインなどを考えていってくれるだろう。また、新聞社にも大学院の優秀な同期が何人かいくはずだ。だったら僕は、映像メディアを扱う記者という領域で精一杯頑張ればいい。組織に囚われず、色々な業界の仲間と一緒に協力しながら、「大衆に届く報道」を考えていければいい。

 

さて、以上が僕の就活における総括だ。

もちろん、抜け落ちた議論はたくさんある。例えば僕が就職するであろうテレビ局も、ウェブメディアやデータジャーナリズムに力を入れていて、「観られる」という意識が非常に高い。朝日新聞デジタル編集部も、新しい取り組みを次々と始めている。
マスコミも「変わらなければならない」という意識は強い。その中でもがいてみるのも悪くないだろう。

また、政治ネタを扱うウェブメディアが成功している米国は、国民の数や言語圏が圧倒的に広いということも考慮に入れるべきだ。
それに、「社会的・政治的できごと」を軽視する大衆を責める前に、積極的に関心を持とうとする余裕ができない忙しすぎる日本社会の歪みを解決しなければならないかもしれない。それはまさしく大文字のジャーナリズムが解決の一端を担うだろう。

 

しかし、取りあえず僕が言いたいのは、「10年先はなにがどうなっているかわからない」ということだ。
メディア環境が一変しているかもしれない。
だからこそ、僕は記者として、常に10年後のジャーナリズムを見据えながら、そこで僕がどのように貢献できるかを考えていかなければならない。

いま、僕は記者を選んだ。しかし10年後は、どこかのIT企業でウェブマーケティングを担当しているかもしれない。
しかし、目標は変わっていないだろう。変わるのはアプローチだけだ。

世間知らずだった僕が、どうにか社会との接点を探してもがいてみた結果が、記者という仕事だった。
自分で選んだ道だから、精一杯頑張ろう。

 

あっ、あと1年間はマイペースに研究しているし、就職後はソッコー地方勤務なので、とにかく飲みましょうね。
皆に会いたい!